ビンラディン殺害、翌日のグラウンドゼロの様子

【ニューヨーク=福山万里子】 -2001年の米同時多発テロから9年と8カ月。9・11テロを首謀したとされるオサマ・ビンラディン容疑者を米軍などがパキスタンで殺害したというニュースが世界中を駆け巡った1日夜、グラウンド・ゼロは狂喜乱舞する若者たちで埋め尽くされた。

しかし、翌朝にはその若者たちも去り、交通量も通常通りの月曜日を迎えていた。

いつもと違ったのは、マスコミの数。おそらく5人に一人は報道関係者と見られ、通常よりも観光客の姿は控えめだったようだ。配備されていた警官たちも、どちらかというと多数詰め掛けた大手テレビ局の中継車や番組の様子を遠巻きに見守っていただけだった。

また、グラウンド・ゼロの目の前に位置するチャーチ・ストリート沿いのセント・ポール教会の柵には、犠牲者の名前が掲載された星条旗がかけられ、亡くなった家族や友人の名前を探す遺族が次々と訪れていた。

この旗の横に座り、静かにすすり泣き始めたTシャツ、短パン姿の若者の姿に、何十台ものカメラが、最初は遠巻きに、そして徐々に囲むように近づいて行ったが、筆者はさすがにこの青年にカメラを向けることはできませんでした。

報道に携わる者としては失格かもしれませんが、遺族の悲しみに区切りや癒しがないことを胸に、昨晩喜び騒いでいた群衆だけではないことを、少しでも日本の読者の皆様に知っていただければと思います。

チャーチ・ストリートの様子(2011年5月2日)

グラウンド・ゼロ前のニューススタンドで新聞を買い求める人たち(2011年5月2日)

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